6月 20

品のある女の色気に昭和は良く似合う

昭和を描いた小説を読んでいると心が和みます。そんな風に感じるようになったのは、年を重ねた証拠からもしれません。私の中では昭和とは古き良き時代で、どこか懐かしくて小説に登場する者達は苦楽を味わいながらも人情深いのが特徴です。そんなことを抱くのは私自身がこうした物語を積極的に読んできたからかもしれません。
先日読んだ小説はそんな味わい深さが凝縮された作品でした。放浪癖が消えない父は主人公の10代の女性とは別のところに住んでいます。そこへ母に頼まれてお金を持ってゆくことになったことから物語は始まります。芸者小屋や名画座などが立ち並ぶ町に住む父の元へ辿り着き、ドアを叩いたら知らない若い女が出てきました。その人は父の同棲相手ですが、とても手厚い歓迎を受けます。しかしながら当の父は嬉しい気持ちを上手く表現できずに、せっかく再会したにも関わらずその家から出て行ってしまうのです。一度は家路に着こうとしたものの、夜遅くまでその女性と供に今まで味わったことのない時を過ごします。女性の上品な色っぽさと美しい絵柄の皿に乗せられた水菓子、隣の家から聴こえる三味線の音など今まで知らなかった大人の世界を知ります。
この作品を読んでいると私もこんな色気と魅力あふれる出会いをし、粋な時間を過ごしてみたいと感じました。親との複雑な関係は心痛むところもありますが、10代の若者にとってこの出会いはとても大きなものになったと思います。そして昭和というスパイスはより一層小説の魅力を掻き立てたのでした。

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6月 06

おしゃれの極意を学びながら生きたい

腕にたくさん付けたブレスレットがジャラジャラと揺れる音が好きです。ブレスレットが大きくてたくさんあればあるほど共鳴してよい音になります。こんな風に思う理由は女性らしさを感じるからかもしれません。それらが派手でカラフルで奇抜なデザインなら尚更私の心は魅了されるのです。
さて先日ファッションアイコンとしてアメリカで人気がある94歳の女性のドキュメンタリー映画を観ました。この作品の主人公の服装は派手で独特のセンスを醸し出しており、とてもおしゃれなのです。また腕や胸にたくさんのアクセサリーを纏っておりどれも大振りで目にしたことのないものばかりでした。また彼女が持っているファッションアイテムは高級ブランドのものもありますが、骨董市やフリーマーケット、若者向けの店で安い商品を購入することも多いのに驚きました。ただ買うことを目的としているのではなく、購入したアイテムをコーディネートしてファッションを楽しんでいるところに好感が持てました。そして「おしゃれを楽しみたい」という願望を私の心の底から湧き上がらせてくれました。しかしながらどんなに洋服が好きで欲しいものがたくさんあっても、お財布の限度額は限られているため物欲と現実のギャップにもがくことも経験してきました。でも自分に見合った経済力でファッションを楽しむことは幾らでも出来るはずです。映画の主人公は現役でお仕事をされており知名度もあるため洋服やアクセサリーにたくさんのお金を掛けることができると思いますが、彼女の買い物術からは安いものと高価なものを上手にゲットすることを学ぶことができます。おしゃれ上手になるための極意として、自分に似合う物を選ぶこと、金額に左右されずに逸品を探す目を持つことが必要だと強く感じました。年齢を重ねてもずっと好きな服を着てゆきたいからこそ、学ぶことはまだまだたくさんあることをこの作品は気付かせてくれたのでした。

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5月 22

また食したい老舗甘味処の粟ぜんざい

ある初冬の週末に由緒溢れる街にある甘味処を訪れました。昔から文豪達にも愛されてきた店で、一度はここの和菓子を食べたいと思っておりました。立ち寄ったのはたしか金曜日の夕方だったと記憶しております。老若男女問わず様々な年齢層の人々が、ぜんざいやあんみつを食べていたことが思い出されます。私は冬季限定の粟ぜんざいをお持ち帰りで購入して家路に着いたのでした。レンジで温めて夕飯のデザートとしていただいたところ、大変美味しくてとても幸せな気分になったことを覚えています。粟のもっちりとした食感と、甘すぎずでも濃厚なこしあんは外の寒さを忘れさせてくれるように体を暖めてくれました。
なぜ今この店のことを思い出したかというと、先日読んだ短編小説に登場していたからです。昭和を舞台にした作品に、あの店のあんみつが奥深い趣を与えていました。今までこの作品の著者が手掛ける小説を幾つか読んできましたが、どれも粋で大人の色気を感じるものが多く、まだまだ未熟者の私はいつも「こんな生き方があるのか」といい勉強をさせていただいております。そのため勝手ながら著者へ心からの憧れを抱いているのです。また足を運んだことがある店が小説に登場することで、作品がより身近に感じられるのも嬉しいものです。そしてあの初冬に食べた粟ぜんざいが恋しくなり、今無性に欲しております。
いつかまた粟ぜんざいに再会することができる日を胸に、これからもたくさんの小説を読んでいきたいと思います。同時に美味しいものを貪欲に追及していこうとささやかな欲望を抱いているのでした。

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5月 08

地下鉄に乗りながら読みたい本

ファッション雑誌に載っていたとても面白い記事を見つけました。それは「地下鉄で読みたい本」を紹介したものでした。ファッションブランドのエディター、小説家、芸人、ミュージシャンなどが「これ」という一冊を挙げており、どれも至極のチョイスだったように感じます。また何故この本を紹介したかの解説も書かれており、「この気持ち分かるかも」と思ったのでした。
例えば海外の作家が書いたSF小説です。シニカルでユニークな作品らしく外が見えない閉ざされた空間を走る電車にぴったりの作品のように感じました。小説の紹介文を読んでいたら私も無性にこの本の世界に浸りたくなりました。またある人は電車に乗っていた時に小学生の女の子が食い入るように読んでいた児童書を挙げていました。私も小さい頃に図書館で借りたことがある物語だったので、とても懐かしく思ったものです。
電車で本を読むことは多々あるものですが、走る空間によって作品を変えるという意識は持ったことがありませんでした。そのためこの記事はとてもユニークで斬新だと感じました。
都心部にはとにかくたくさんの路線が走っています。特に地下鉄は土の中に存在するまるで小宇宙のようなイメージがぴったりだと感じます。外の風景を見ることができないためどこを走っているのか分からないけれど、目的地には必ず辿り着く乗り物である地下鉄。今後乗る機会があれば私もSF小説を片手に物語の世界をじっくりと味わいたいと思います。

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4月 23

小説にも登場する象という動物

動物園に行くと私は決まって象がいる檻へ向かいます。何故だか分からないけど大きな体と長い鼻とグレーのボディに心惹かれるからです。でも最も好きな所はあのつぶらな瞳かもしれません。あの巨体に似合わない位に小さくて愛嬌ある目を見ているととても気持ちが落ち着くのです。そして長い鼻で美味しそうに食事をするところもまた魅力的だと感じます。あんなに強そうなのに草食というところは一段と愛おしさを与えてくれるたりもします。
今まで読んできた小説にも幾度か象が登場してきました。戦時中の動物園を描いた悲しいお話であったり、SF小説に描かれた架空の街の公園にいる設定であったりもしました。これらの作品で優しくて人の心に寄り添うように描かれていたことを感慨深く思います。特に公園の滑り台として登場した小説では誰も知らないうちにそこからいなくなっていたエピソードが語られており、「像の墓場」へ向かったと表現されていました。この作品を読んだ時切ない気持ちになりましたが、ひっそりと姿を消して自分が向かうべき場所へ足を進める生き方が素敵だと感じたものです。
物語に登場して色々なエピソードを披露してきた象ですが、彼らがどんなことを考えて生きているかは分かりません。でも巨体を揺らしながらのんびり歩く姿は、忙しなさに憤りを感じ、理不尽なことに振り回されることを余儀なくされる人間にとって、安らぎと優しさを与えるのかもしれません。動物園に行くことがあればまた彼らがいる檻の前に立ち、ゆったりとし佇まいをじっくりと眺め続けたいと思うのでした。

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4月 09

もうすぐ暮れていく空

先日の休みの日、朝のワンコのお散歩以外は一歩も外に出ることなく読書三昧で過ごしてしまいました。「あぁ、もうすぐ一日が終わるな」って思ってふと窓から外を眺めたら、低い空には白く光に照らされた雲と薄い水色の空が見えました。その白い光はやがてオレンジへと色を変えていくんだなって思いながら見ていたら、なぜか懐かしい気持ちになったんです。もうすぐ暮れていくこの空、いつかも見ていたような……。どこで見たんだろう。きっと思い出さないだろうと根拠なく思っていたのに、ふと思いついたんです。ずっと前に行った信州のペンションから見た空に似てるって。そうこうしているうちにみるみる下の方からオレンジ色に輝き出しました。そして、その移り変わりを眺めていたら、ある小説を思い出しだんです。暮れて行く空が出て来る物語ではありません。なぜだろう。ほとんど見えないくらい細い記憶の糸をたぐっていたら、ペンションの廊下やダイニングが見えてきました。そして廊下に置いてあった本棚も。そうなんです。ペンションに置いてあった小説です。夕日が本棚に差し込んでいたその光景を思い出しました。そうそう、友人とそれぞれが好きな本を部屋に持って行って夜の時間を過ごしたっけ。なんだか急に外に出たくなった私は「キャンディ、お散歩に行こうか」とワンコに声を掛けました。

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3月 28

人にはそれぞれ生きてきたドラマがある

人の数だけドラマがあると思います。それは決して素敵なことばかりではなくて、時には辛かく壮絶なものでもあります。出来れば苦しいことは避けて通りたいものですが、そうはさせてくれないのがまた人生だと感じるのです。そんなことを思ったのは先日読んだ女性作家のライフスタイルについて記された本がきっかけでした。もう何十年も前に飛行機事故で亡くなられた方ですが、今でも小説が原作となったドラマが放映され、映画が公開されています。
先日読んだ書籍には、小説家としてまた脚本家として華やかな活躍をしていたことが書かれており、お洒落で凛とした女性だったことが手に取るように分かりました。そしてこの本の最後には「歩み」として西暦と年齢とその時々の出来事が書かかれていました。西暦は生まれた時から始まり、学生時代、出版社への就職、作家としての活躍、そして病に冒されていた時代があったことを知りました。たくさんの作品を世に送り出し、積極的に海外へ旅行して充実した道を歩んでいたと思っていた私にとって病気のことは驚きでした。重い病気と向き合った時代がありがらも楽しむことを謳歌していたことを尊敬すると供に、自分も充実した年の取り方をしたいと思ったのでした。51歳という若さで不慮の事故で亡くなられましたが、こうした書籍に出会うことで、いつまでも美しくカッコイイ女性として私の心の中で生き続けています。

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3月 13

朝焼けに向かって

先日、いつもよりかなり早くワンコのお散歩に行きました。その日は私が早朝に出かけなきゃいけなかったので、ワンコのせいではありません。外に出てみて、まずビックリしたのが、空にはまだお月さまが見えてたってこと。それも、まん丸で眩しいくらいの明るさだったんです。思わずワンコの足を止めてしまうほどでした。そして、もうひとつ、東の低い空がオレンジがかったピンク色に染まっていたんです。朝焼けです。夕方のお散歩の時と今のこの景色は同じだなって思いました。でも、方向は逆です。夕焼けは西の空ですもの。遠くから鳥の鳴き声も聞こえてきて、とても清々しい朝でした。こんな風に朝焼けを見たことって初めてかもしれません。そういえば、いつか読んだ小説で、主人公が朝焼けに向かって歩いていく場面があったけど、その時、私はあまりイメージができませんでした。自分の中ではなんとなく夕焼けを思い浮かべていたかもしれません。けど、その時「こんな風景の中を主人公は歩いていったのかな」って思ったんです。仕方なく出かけた早朝のお散歩だったけど、なんだかすごく得したような気分になりました。そんなだから、急いでたはずなのに、ちょっとゆっくり時間を掛け過ぎてしまいました。「大変!」と慌てて家に向かって走り出した私と一緒に、ワンコも嬉しそうに走り出しました。

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2月 28

心を麻痺させる錯覚の幸福感

「心が満たされるためにすること」とはどんなことでしょうか。美味しい物を食べること、眠ることなど人によってまたその時により、欲求を満たすものは異なってくると思います。その中でも「自分の中のテッパン」と呼べるものがあり、アドレナリンが頭と体を巡り少々興奮状態になるような行動は、快感という言葉がぴったりなのです。
以前読んだ小説には、買い物が大好きな女性が描かれていました。病的にファッションアイテムを購入してしまうことが悩みでもあり、至福を感じることでもあったのです。裕福な男性と結婚した彼女は一部屋分のクローゼットに洋服や靴、バッグなどを収納していました。また購入した後に一度も身に着けていない高級なアイテムも数多くあったようです。夫はそんな妻の行動を理解しようとしつつも普通ではないと感じ、ある時妻に優しくそのことを話します。妻は夫の言葉を受け止め、その欲求を抑えることができないことを認めます。そして一度も袖を通していないコートをショップへ返しに行った帰り道に事故に遭い亡くなってしまうのです。夫が買い物についての話をしなければ、彼女は死なずに済んだのかもしれません。しかしその価値観の違いを話し合うことは必要だったと感じます。心が満たされると感じていることは、実は頭の中だけで企てられていることで、心と体は満たされていないことは多くあるものだと思います。辞めたくても辞められないこと達と向き合う時、初めて自分にとって本当に心地よいことは見えてくるものなのかもしれません。

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2月 13

見上げれば夜の雲

一日に何度かワンコのお散歩に行きます。必ず行くのは、朝と夕方。でも、夜寝る前にも行くことが多いです。以前は夕方に行けば翌日の朝まで大丈夫だったのに、最近は歳をとってきたからか、朝まではもたないようで、22時から24時の間くらいに鳴きだすことが多いんです。だから、疲れていても仕方なくお散歩に行く羽目になるんです。
先日も、今日は大丈夫かと思って寝ようかと思っていたら、突然鳴きだしたんです。「今から?」という気持ちで、めんどくさいなっていう思いでいっぱいでした。けど、さすがに朝までオシッコを我慢させるわけにはいかず、出かけました。ワンコは私の気持ちなんて関係なく嬉しそうに小走りです。そして、すぐに帰ろうと思ったのに、なかなか帰らないんですもの。家の近くをくるくると歩きました。その時にふと空を見上げたんです。夜中なのに、ちゃんとはっきり雲と空が見えていたんです。色んな形の雲がありました。空全体が暗いだけで、そのコントラストは昼間と同じです。夜中の空ってこんなだったかな。もっと全体に真っ黒なイメージかと思っていたけど、違いました。そういえば、こんな夜の雲を題材にした小説があったっけ。作者もこんな風に夜空を見上げてそのタイトルを考えたのかなぁなんて思うと、もし違っていたとしても、感慨深いものがあります。ワンコはそんな私の感傷に浸っていることなんてお構いなしです。自由気ままにお散歩を楽しんだら「さぁ、帰ろう」とばかりに今度は私を家に引っ張って行きます。やれやれ。

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